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「お金」は「自由」の父である ガリレオが起業するまでの過去の闇と光の物語

物語

こんにちは。ガリレオです。


僕は留年が決まって起業を始めて
2か月目で就活を放棄できるような20万ほどの稼ぎを得て
今でも楽しくて夢中になって仕事をしています。



ここでは
なぜ僕が「起業」という選択肢をとったのか。
そしてどのように結果を残してきたのか。
を書いていきます。


内容としては
僕の幼少期の親からの貧乏教育、日本全体としての悪い教育
から勇気を出して飛び抜け、


1人の男として強く、そして自由を求めて
行動してきた20歳の若き少年が成長していく物語です。


人を守るにも、誰かを助けるにも
時間は必要だし、お金も必要。

つまりは自由を求めなければいけない。


人を助けるにも
自由が必要なんだ。

強い人間になる。



と心に決めたのです。



この物語に感化されて
自分も強くなる。自由を得るんだと
行動を進められる第一歩になると嬉しいです。



僕がなぜ情報発信をするのか
ってことを書いたので
感想もぜひお待ちしてます。

それでは、始めます。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


いきなりですが、
物理学者ガリレオのこんな名言を聞いたことありますか?

「懐疑は発明の父である。」

疑うということが
発明の種となり
そこからすごいものが生まれるかもしれない。

という意味ですね。
今でも残る名言です。


僕はガリレオから名前をとらせてもらっているので

僕、情報発信者としての
ガリレオは


「お金は自由の父である」

という言葉を残していきます。


これが僕の理念です。

自由っていうのは

金銭的にも自由。
時間的にも自由。
心身も自由。
人間関係も自由。


そして自分の実力を磨いていくことで
社会的にも自由。新規事業などを黒字にする実力も持つ。
それも僕の中では自由です。


でもこれらの自由は全て
お金の自由から始まります。


自分でお金を稼げるから
時間が自由になり。
無理な働き方をすることも無くなり。

心身の自由が得られる。

お金を稼ぐ知識も入るから
社会的に生き残っていくスキルも手に入れられる。


全ての自由はお金から生まれる。

だから

「お金」は「自由」の父なのです。


だけど
僕の過去は決して本当の自由ではなかったです。
自由にもレベルがあると考えてますが
相当過去の僕はレベルが低かった。

それを生々しい経験とともに記していきます。

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幼少期~中学生まで



僕の父親は自営業。
母親は専業主婦。


2003年に田舎の個人経営の小さな病院で生まれました。

3つ上の兄が1人いて
2人兄弟です。

そして大学に入るまで
ずっとその関東の田舎で住んでました。


幼稚園の時は非常に人見知りでした。

1つすごい記憶にあるのが

幼稚園の校庭で一個学年が下の子2人くらいに囲まれて
けんかになったんですよね。

でも僕は何も言えなくて
言い合いに負けました。


幼いころの記憶でそんな鮮明じゃないので
細かくは覚えていないんですけど


これがあったことは
記憶にはっきり残ってます。


そこからというのものの
僕は自分1人で何かをするということが苦手になりました。



怖がりの雑魚です。

雷も怖い。
台風も怖い。
何をするにも怖い。やりたくない。
トイレに1人で行くのも怖い。
暗いと怖いから部屋で電気をつけてないと寝れない。

「お母さんがやって」
「お兄ちゃんがやって」

って人に任せるようになっていきました。



そのせいで
自分からやる。っていう


自主性がなくて



小学生の習い事も
全部お兄ちゃんと同じでした。


進研ゼミ。
習字。
サッカーも1日体験だけ。
水泳。
テニス。



なんとなくやる。
お兄ちゃんにレールをしいてもらう。

そこをたどって進むだけ。


本当にお兄ちゃんの後をたどってるだけの人生でした。



小学生。

習字をお兄ちゃんが3年生の時に初めて
少したって僕が小学校に入学して初めての習い事でした。



今でも鮮明に覚えています。


小学一年生の6月1日。
めちゃくちゃ大雨が降ってました。


家から歩いて10分くらいのところに
習字教室があったので

母親と兄と
3人で傘をさして歩いていきました。


そして習字教室につくと


「弟くんも来てくれたのー、これからよろしくね」

そんな言葉をかけられた記憶が少しあります。



僕は兄がいたので
優遇されるわけです。


特に緊張もすることなく
お兄ちゃんの背中に隠れとけば何とかなる。


こんな感じで
習字も始めたし


その次に2年生になってテニスも始めた。
これもお兄ちゃんと一緒。


プールも始めてこれまた一緒。


全部レールを敷いてもらって
「なんか楽しそう!僕もやりたい!」

って言って始めました。


ほかの物には目もつけず
盲信的になっていました。


それがこの後のガリレオの人生に
すごい影響してくるわけです。



あとは母親がめちゃくちゃケチというか倹約家なのか知らないけど
「節約」という言葉をよく使っていた。


悪気はないんだろうけど
僕らのためといいながら、大学に通うためのお金貯めてるからといい
節約、節約とよく言っていた。


そして
すごく覚えているのが


シャカパンで通じるんですかね?(シャンパンじゃないですよ。)
あの裏起毛になってるズボンを買いにゼビオに行ったんですけど

僕は1つだけお気に入りのを見つけて
「ままー、これがいいー」


って母親に渡しました。


母親は
値札を見て

ちょっと嫌な顔してきました。

「ほかには良いの無かったの??」
といわれ

何もわからない僕は
「うん!」

とはっきり答えると

母親は
困った顔で

「ちょっと高いなー、他にも探してみて。
ままは違うとこで買い物あるから探しといてー」

って言ってきました。


僕の中では選びに選び抜いてそれに
一目奪われたのに

もう一回選びなおすことになってしまいました。

でも結局僕はそれしか欲しいのがなくて
母親が戻ってきたときに

言いました。


「これしか欲しくないよ」

というと
かなり文句を言われました。


それでも僕も反抗し続け
結局なんとかセールスに成功しました(笑)


でも僕にその母親の「節約」「倹約」
みたいな精神がどんどん染み込んでいきました。



このシャカパンエピソード以外にも


何食べたい?って聞かれて3つくらい言うと
そんなには買えないよ。1つだけって


よく言われてました。


いや、当たり前かもしれない。し
当たり前だと思ってました。



うちってそんなにお金無いのかな
貧乏ではないかもしれないけど裕福ではないな

そんな風にずっと思ってました。


でも
別に不便はしてなかったから気にすることはあんまりなかったです。

僕がわがままなだけかな
とか思ってました。



習字をやってた時も
もっと上手になるために高い筆買ってもらったし

中学校に入ってソフトテニス部に入ったときも
ラケットを買い替えさせてくれたし
靴もかっこいいのはかせてもらったし
ガットもよく張り替えさせてくれたし


中学校3年に上がるときに
学年で頭良い人がみんな入ってた思学舎って塾に
高いお金出してもらって入れてくれたし


そんな貧乏ではないと思ってるけど

節約、節約とよくいう母親だったので

僕に染みついていました。


専業主婦なので
家にいつもいるので

僕はかなりの時間母親と一緒にいました。

学校から帰ってきて
国語の教科書の音読のチェックをしてもらうのも母親だったし

ゲームやろうって言って下手くそなのに一緒にやってくれたのも母親でした。


優しく愛情をもって育ててくれてもらったのですが

悪気のない貧乏教育をされました。


小学校を卒業して

兄のレールをずーっとたどり続け


僕はその後も

中学校でも兄と同じソフトテニス部に入り

なんと高校まで一緒でした。

転機



でも

だんだん僕も成長してきて
違和感を感じるようになってきました。


その大きなきっかけになるのが
「高校2年生時の進路希望提出」でした。



将来を考えたときに何も浮かばなかったのです。

その時に僕はずっと
お兄ちゃんのレールに乗ってきたことに気づき
主体性のなさにも気づき

非常に今までの人生を後悔しました。


「あれ、僕は僕の人生であるはずなのに」
なんか違う。と。



しかも将来について考えても
本当に何も浮かんできませんでした。


「俺、何になりたいんだ?」


たくさん考えました。
勉強どころじゃなかったです。

どこに向かってるのかわからないから。



あと何でここで
お兄ちゃんのレールに気づいたかというと


兄は受験に失敗して第一志望校じゃない
大学に通いました。


さすがに僕も
失敗したところを真似るという気にはならず
兄の大学は目指しませんでした。



こういう背景があって


・どこの大学に通うのか
・将来何をやりたいのか


ここら辺を一日中考える生活が続きました。


そんな時
高校の先生との面談があって
自分の番が回ってきました。


ちなみに僕は小学校の習い事から高校の進学先まで
兄のレールをたどりすぎたため
昔、兄の担任だった先生が僕の担任の先生でした。

担任かぶりは小学校から高校までで4回あります。
小5。中2。部活動の顧問。高2。



そして面談で

先生「志望校はどうしたいの?兄が目指してた筑波大か?(笑)」

ぼく「あんまり決まってなくて。なんとなく筑波大にしてます。」

先生「そうかー。将来やりたいこととかないの?」

ぼく「それもわからないんですよね。」

先生「そうか。じゃあまずは将来どうなりたいか考えてみたら?大学ってあくまで通過点だから将来から逆算してみよう。それでも将来どうなりたいか決まらなかったら、やりたいことができたときに選べるように頭の良い大学を目指しなよ。」


ぼく「はい。ありがとうございます!将来の夢探します」


面談ではこんな会話をして
なんか心の重りがふっと軽くなりました。


この先生には
感謝をしています。


考える道筋を先生が教えてくれました。
これはビジネスでもすごい大事なこと。

将来の夢←大学や学部選び

って逆算して考えてみる。



将来について考えました。


でも結局
将来の夢はよくわかりませんでした。

そして

「お金」があれば幸せになれるのでは?
目に見える功績があれば幸せになれるのでは?

という人間だれしもが持つ考えをして


芸能人や俳優、女優さんと
近くで関われるかもしれない

「テレビ局に行きたいかも!」

といったん決めました。



それをもとに
行きたい大学を調べてみると


早慶からテレビ局に行く人が多い
という情報をつかんだので


早稲田と慶應だったら
慶應のがかっこいいな

って思って
理系とその時には決まってしまっていたので

慶應の理工学部を第一志望にしました。


でも親のせいもあり
国立に行ってほしいなといわれ続けていました。

お金そんな出せないよと。

それでも僕は
もう慶應大学がかっこいいって思って
慶應を第一志望にしました。

大学受験物語1




そこからというものの
勉強を頑張りました。


しかし、


高校が優秀なのもあって
僕は高校の中では勉強についていけず

ビリになったりもしました。


志望校を決めたのが
高2の冬くらいでした。


でもこの頃からは
周りの人もたくさん勉強しているため

全然差が埋まらず
テストの成績では
ずっと下位2割くらいの順位をとっていました。



頭が良い高校とは言ううものの
さすがに落ち込んでいたし
自己肯定感、自尊心を傷つけられました。



そのままずるずると時間は過ぎてしまい

高3になり、秋になり最後の模試となりました。


今までも
慶應大学どころかMARCHの大学もE判定。
偏差値は45から55くらいを低迷してました。


そして
最後の模試でもE判定。


言葉では
絶対に受かる。頑張る。

と言っているものの


「あーもう!なんでで成績上がらないんだよ」
「このままじゃ受からないじゃん」
「全然成績も上がらないし、なんも成長してる気がしない」

つらい。



でもほんの一握りの希望を信じて

「ワンちゃん受かるのかな?」


うかったら。もしうかったら。

大学生になったら絶対楽しいだろうな。
1人暮らしして、友達とワイワイして遊んで、旅行にいったり。
昼間から飲んだりして。

実家に住んでいる大学生の兄を見ていたこともあり、
そんな未来を描いて

ワクワクしたりもしてました。



でも現実に戻ると
全然成績が上がっていない。


どうしよ。
兄は現役で合格したのもあり、
浪人するという選択肢は全く見えてませんでした。


慶應大学を目指してたものの
全然受かる成績ではなかったので

MARCHの大学。法政。中央。明治。
も受けることに決めました。



正直これらの大学にも
受からない成績でしたが


クラスで一人は東大に行き、一人は医学部に行き
みたいのが当然の学校だったので


プライドが許さず
MARCHより下の大学は受けませんでした。



そして
受験シーズンになります。
私立第一志望だったので共通テストの勉強は最初からあまりしてませんでした。

なので当然のように共通テストの成績は良くなく
540点くらいだったきがします。



内心落ち込んでたけど
でも、僕は私立だから。。と自分をなんとかなだめました。



そして第一志望の慶應大学理工学部の受験当日。





今まで頑張ってたもの出し切ればいいや
と開き直って受けましたが




全然手ごたえなくて。。


あーー。やっぱり僕の楽しい大学生活は迎えられないのかな。

悔しい。
この先どうするんだろう。



たくさん嫌なことが脳内を駆け巡りました。



それを家族にも
伝えましたが

「大丈夫だよ。きっと受かってるよ。」

と励ましてくれました。



そして
合格発表当日。


ドキドキしながら
家族と一緒に待っていました。


朝10時に発表でしたが
そわそわして寝れず8時には起きてました。


試験は全部終わっていたので
ゲームしたり、現実逃避するためにベットに潜って二度寝したり
して時間をつぶしてました。


これでも全然すぎていかないんですよね。
こういう時間って。


すごく長く感じましたが

数分前になり。



親に事前に「自分一人で見なくていいの?」
って言われましたが

僕は結局伝えることになるから
と思い、

「みんなで見よ」

といいました。




そしてテーブルにパソコンを広げ
両親2人と僕で待っていました。


時計の秒針が動くのが
こんなにドキドキするのは初めて。



そして10時00分。



パソコンの合格発表のボタンを押します。
このボタンを押したら運命の合否がわかります。


「ぽちっ」











不合格












言葉が出ませんでした。

親の顔もまともに見れない。


親は
「そっかー。。残念だけどしょうがないよね。。」
「第一志望だったのはわかるけどほかの大学もまだあるからさ。。」

となだめてくれました。




正直心がスカスカになりました。

涙が出てきそうでした。


悔しい。



もちろん不合格それ自体も悔しいけど

親に気を遣わせて
親を悲しませてることも

悔しかった。





でも成績が足りてなったのは
確かだし、

ほかの可能性が高い
合格発表を待つことにしました。。。。



が立て続けに

不合格

が続いてしまい。


ついに最後の中央大学の理工学部の合格発表でした。


正直ここはほかのところよりも
手ごたえがめちゃくちゃあって

受かるんじゃないか??
って思い続けていたところでした。



これで受からなかったら

行く大学がないので
浪人です。



浪人って
大学に行くためにもう一年ただ勉強するので

ニートです。

かっこ悪いです。


大学のキラキラ生活とは
真反対なので絶対に浪人したくありませんでした。

しかも
幼少期のところでも言った通り
親はかなり節約とよくいう人で

僕もそうなっていたので
親に大学受験のお金を払わせてるのが申し訳ない。

浪人なんてしたらなおさら。
出してくれるのかもしれないけど申し訳なさが自分の心を刺してきました。


そして合格発表。



これも朝10時か11時。

慶應の合格発表よりもそわそわしてたかもしれません。

「大学生になれるのか。なれないのか」
を決める合否発表だからですね。




そして発表の時間になりました。


専用のサイトに入って
最後のボタンをクリックしました。



ぽちっ



















残念ながら

不合格です。


おわった、、、、





僕はこの試験の手ごたえがあったのを
親に伝えていたので


めちゃくちゃ苦しかった。




母親は涙が出そうになってました。


「ごめんね。。本人が一番つらいのに私がこんなんなちゃって。。」



その言葉がぼくには 
一番刺さりました。






なんて親不幸なんだ。



なんであの時頑張らなかったんだ。

なんであの日もう少し踏ん張らなかったんだ。


なんであの小テストの時わからないからって寝たんだ。


なんでテストが赤点だった時本当は悔しいのに周りにはへらへらして「赤点とっちゃった」って言ったんだ




もっとできただろ?
何で最後の最後までやらなかったんだ?





たくさんの勉強をさぼった記憶がよみがえってきました。




そして目の前で母親が涙目になっているのを見て

僕は耐えられなくて部屋に戻って泣きました。



いろんな感情がこみ上げてきました。


キラキラした大学生活を送れない悔しさ。
周りの合格を勝ち取った奴への羨み。
これからどうしていいのかわからない気持ち。


たくさん受験させてもらった受験料が無駄になってしまった悲しさ。
全部で十万以上ですよ。受けるだけなのに。


そして
もっとかかってしまう浪人の予備校代。一年間で100万以上。
交通費や模試代。来年の受験料も考えたら150万くらいはするでしょう。



これらを自分ではなく
親に抱えさせてしまう。


その僕が何とかしたくても
できないという苦しさ。


いろんな苦しさが
同時に僕に降りかかってきて

泣いた。


悔しかった。


親に申し訳なかった。




そこで僕は一年間の浪人生活が決まった。

大学受験物語2




これがのちに僕の大きな人生の転換点となります。




この悔しさをばねにして
絶対に合格してやる。

絶対に慶應大学に入って
理想通りのキャンパスライフを送るんだ。


絶対に成績上げてやる。



もう親のあんな顔を見れない。
人生で二度とあんな親の顔を見たくない。

苦しすぎるから。



これが僕の心を燃やすエネルギーになりました。


本気だ。



そして


四月になり、
河合塾に通うことを決め、授業が始まりました。



最初の日に

テキストが山積みになって渡され
でかい鞄にいれてその日はオリエンテーションだけ受けて終わった。



事前に受けたテストで
ちゃんと普通くらいの成績で

希望通り
「早慶理工コース」
に入れたみたいだった。


思ったより人数少なくて
12人。



絶対にこの中で一番になるぞ。
そう決めた最初の日でした。




で1年間、行動面、勉強の悩みとかをサポートしてくれる専属のチューターがいて
その人と面談して最初のクラス分けのテストの成績を聞かされたのだが


12人中4番だったっぽい。


まあみんな落ちて浪人してるんだから
この中では一番じゃないとなって言われました。


やっぱり受かるのも毎年1人とか2人が平均かなーと。




まだ10か月ある。
絶対にまずはこの中で一番になる。




そして現役時代とは違い
猛勉強の日々が始まりました。


授業が一日に3コマくらいあって
他は自習時間。



河合塾まで
家から1時間くらいかかったので


そんな簡単に行く。帰る。ができないので
僕はどうせなら集中できる環境に長い時間いよう。



朝7時34分の電車に乗って
夜22時26分に帰ってくる電車に乗った生活をした。



電車に乗っている時間も単語帳を開き

時には席に座ってリュックを膝の上に乗せたうえに
ノートを載せて、ペンを走らせ問題を解いたこともあった。


周りの目?
そんなのきにならなかった。


だって
知らない人だし、悪口を言われても僕の勉強に支障は出ないし


僕は
慶應の理工学部に合格することしか考えてなかったから






僕はめちゃくちゃ夢中になっていた。

毎日ゾーンのようなものに入っていた。


最初の模試では偏差値が以前より10上がって
60になっていた。



でも先生からは
浪人して1個下の高校三年生と戦ってるんだから
みんな上がるんだよ。


当たり前だろ?1つ下に負けないだろ。

といわれました。


「この成績をキープできる人は受かるかもな。」
「成績をあげられたらほぼ確実に受かる。」

「ただ下がっちゃうやつが多いんだよ。」


嬉しかった気持ちは無くなり。
少し恐怖に変わった。



勉強頑張っても
成績が下がる、、、のか。


浪人生の大半は第一志望に受からない。

とよく聞くが
成績が下がったらメンタル崩壊するなと、納得した。



それを胸に
僕は絶対に成績を上げると決めて
猛勉強を続けました。



その模試では
最初のクラス分けのテストから1つ順位を上げて
12人中3位になりました。


あいつ、とあいつに負けてるんだな。



絶対にあいつより長い時間自習する。

そう決めて
毎日7時すぎに家を出て
23時に帰る生活をつづけました。



6月あたりには少しくじけそうになることもありましたが
絶対に頭が良くなってる感覚がありました。



そして2回目の模試。

なんか数学できたなーと手ごたえを感じてたんですけど
結果が返ってきてびっくりしました。


見たことのない数字がありました。


数学 偏差値 72.2


数学の授業は違うクラスの生徒ともいっしょで
全体で80人近くで受けてたんですが

その中で1位でした。





高校のころは
320人中ビリをとったこともあったのが

猛勉強を重ねて
80人中1位になりました。

あとクラスでは
めちゃくちゃよかった数学以外の教科を含む
理系教科の順位は
この時には12人中2位になりました。


あれほど勉強してたつもりの高校3年生とは
打って変わって成績がみるみる伸びました。



なぜ高3のときは成績が伸びなかったんだ?
そんなことを思ったんですが


これは
ビジネスの
結果の出る生徒
結果の出ない生徒

の違いにも通ずるな
とめちゃくちゃ感じてて


僕が
浪人して4か月5か月で
何を徹底したかというと


徹底した復習です。



復習ばかりしてました。
河合塾の教材しかやってません。

他の参考書ではなく
これを復習し続けました。


復習ってなんで結果に差を生むかというと
人間はプライドが高いので


覚えたつもりになるし。
わかったつもりになるし。
できたつもりになる。



そして人間すぐ忘れるので
3か月後には覚えていない。ってなる。


これは
何を勉強するにしろ一緒です。


特に数学とライティングとか
マジで似てて

数学の応用問題解くときって
基礎が確実に頭の中に入ってなきゃいけないんですよね。


基礎を頭の中で
組み合わせたり、ばらしたり、少し思考したりして

応用します。

そうすると難しいといわれる問題が解けるんですが


ライティングもそうで。

基礎知識が頭に入った状態じゃないと書けないんですよ。



わかりやすく言うなら
九九が頭の中に入っていないのに

3桁×3桁の筆算をやろうとしてるもんなんですよね。


確実に
2の段も6の段も8の段も
自分で使えるようになって初めて

3桁×3桁ができるじゃないですか。



ただその基礎の基準ってものがどんどんわからなくなっていくんですよね。
だから復習しない。

周りの頭の良い人。結果の出てる情報発信者。
がこれくらい基礎を徹底してるってことが
わかれば自分もできるんですけど

それがわからないから
できないまま次に進もうとします。



それで結局1歩1歩滑ってるのに
滑ってるのに気が付かないで100歩進んだ気になっています。



101歩目を踏み出したときに
なんかおかしいなって時間を無駄にしてたことに気づきます。




だから基礎を徹底して使える状態になるまで
復習するということをしました。


友達は河合塾の授業で実力が付いたと勘違いして
同じことをやるのは意味ないと思い
違う問題集をやったりしていました。


これではせっかく塾に通ってる意味がないんですよ。

コンサル受けてる人でもそういう人いますけど。。


そしてその友達は
全然成績が上がってませんでした。


友達より僕のが単純なことをしているのに。

「同じ問題を復習した」というだけです。
確かに同じことをしてるから進んでないような気持になって
心理的にストレスを感じるんですけど

しいていうなら難しいのはそこだけです。


やってることは僕の方が単純です。
頭も使いません。


同じ問題を
解く前から「あーこの問題はこうやるよね」
とかわかりきったまま解いたりします。


それで答え確認して「うん。あってるわ。」
ってやってただけです。



ただこれが威力が強すぎました。
特に10か月の戦いの中で後半戦になればなるほどその効果を発揮していきました。



11月になり最後の模試を受け
12月に結果が出ました。



なんと

全体で
偏差値67まで上がりました。


最初に浪人生の大半は
キープか成績が下がるといわれてたのに
僕は上げることができました。


慶應理工の
ボーダーラインといわれる65~67
まで無事成績を上げることができて
C判定まで出ました。




高校一年生のころから
慶應大学はE判定だったのが
C判定まで上がりめちゃくちゃ嬉しかったです。



でもここで調子に乗ってはいけない。
ここで気を抜いたらすべてが台無しになるんだ。


「二度と親の悲しい顔は見ない」
そう最初に誓ったし


絶対に合格したかった。



そして1月になり
共通テストを迎えます。



僕は実は私立のための勉強をしてたので
共通テストは全然自信がありませんでした。


そして当日。
いつもは得意だった数学
でなぜかふるわない。


いつもは5分前くらいには解き終わって
見直しに入るのですが


五分前になっても終わらない。

終わらないどころか
わからない問題がたくさんある。


「どうしよう、、」

焦りを覚えました。



そして結局解き終わらないまま
数学の時間が終わってしまいました。


もう共通テストは捨てるしかないな。
と思いました。


共通テスト利用で受けた大学もあったのですが
それも落ちてしまうな。という手ごたえでした。




でもふたを開けてみれば
非常に難化してて

平均点は30点近く。

僕は55点とかで
なんとかなってました。


でも

共通テストは
僕にとっては前哨戦で

第一志望の慶應大学には全く持って関係ない試験でした。

慶應大学の試験には全く共通テストの点数が入らないんですよ。


なので
内心すこしきてたものの


切り替えました。


僕の目標は
慶應の理工学部に合格すること
だからです。


これもビジネスで大事で
自分の目標にむけた活動をしているのか
ということは確認した方がいいです。

というのも
たくさんの情報であふれかえってるので
だんだんずれていきます。


こっちのほうがいいのかな
とか言って
他の人の意見を聞いてしまったりすると
どんどんずれてしまって無駄な時間ができてしまいます。



そんな感じで僕は
共通テストは本番の試験だったとはいえ
引きずらず

慶應の試験に向けて切り替えました。



過去問を見直したり
今までの河合塾のテキストを見直したり。



そしてついに2度目の
慶應の理工学部の入試本番を迎えました。


高校2年生に慶應を志して
まるまる2年間がたっていました。


朝早くに起きました。
まだ外が暗い時間。

6時くらいだったかな。


そして朝ごはんを食べて
歯磨きをして
受験票と復習用のノートと過去問がかばんに入ってるのを確認して
いつも遅くに家に帰った後も勉強していた2階の自分の部屋を出て


1階に降りて行って




両親に
「すごい頑張ってたんだから絶対大丈夫だよ。」
「行ってらっしゃい」

といわれて
お弁当をもって
出発しました。


親に駅まで車で送ってってもらって
「頑張ってね」

と見送られました。


そして電車に乗って
1時間くらいかけて


慶應の三田キャンパスにつきました。


「なんか見慣れた景色だな」

と去年も行ってるし、


実は
その3日前くらいに
慶應の理工じゃなく
第二志望だった慶應の「薬学部」を「同じ場所」に受験しに来てたので



思ったよりも
あんまり緊張することなく
教室までつきました。



「あれ、だれもいないのか」


かなり気合入れて
早く家を出てきたので

僕の教室の中で一番早く着いたみたいです。



そして受験番号を見て
机に貼ってあるものと見比べて
自分の席を見つけました。


「窓際じゃん。隣気にならないしラッキー」

とか思いながら


今までに解いていた
過去問の問題をチェックしたりしてました。



そして
続々と人が入ってきて

試験開始の時間になり。

テストが始まりました。

慶應の校歌のチャイムが鳴ります。


「それでは試験開始してください。」

と担当の人の声がして
紙を開いて始めました。



うん。うん。
わからない問題もあるけど

解けなきゃいけない問題は
確実に解けているな。


よし。


物理はできたけど
化学はちょっとミスったかな。


まだ全然大丈夫だ。



取り乱すことなく

次の数学。


これもよし。よし。

習ったところがたくさんあるわ。
過去問10年以上解いてよかった。

そんな感じで
数学も終わり



次の英語も
順調。


そして時間になり。

「やめ!」
「ペンを置いて回答を辞めてください」


と終了の合図がありました。



正直合格かどうかはわからないけど

自分の実力通りの回答ができたことは確信できました。


「これで落ちていたら悔しいけど後悔はないな。」

そう言えるような満足のいく
試験でした。


1年間の頑張りを無駄にすることなく
無事試験を終えました。



張りつめていたものが
ぷはーーっと解放されて


その日は帰って
めちゃくちゃ熟睡しました。




そして
1週間、2週間ほどたち合格発表。



ついにこの日がやってきました。



僕が
兄の後を追っかけるのを辞めて
初めて自分で決めた志望校。


そして1年前の高校3年では学力が上がらず
悔しい思いをして

全部の大学に落ちて
行く大学がなく、浪人が決定して


親にも悲しい顔させて
お金も150万も余分に払わせて


いろんなものがつまって
本気で一年間頑張ってきました。



僕が人生の中でこんなに長期間苦しみながら
頑張ったのは初めてでした。


そして初めてやり切った。
10か月という期間。ずっと朝7時に出て23時に帰ってくる生活をした。


怠惰で自主性のない自分が
初めて「変わった」と思えた10か月でした。




とても思いのこもった合格発表日でした。

今までには味わったことのない
ドキドキ感が走りました。


10時に合格発表で


また去年と同じ8時くらいに起きてしまい
むずむずしてます。



なんか知らんけど歩き回ったり
テレビ見たり
ゲームやったり

はたから見たら
めちゃくちゃ落ち着きがなかったと思います。



そして10時が近づいてきて


また去年と同じ感じで


テーブルにパソコンを広げて
今度は兄も加えて家族全員で見てました。


僕がパソコンを操作して

もうあとボタン1つ押せば見れる画面に
3分前くらいには待機してました。



そして
また秒針がこんなにも目に留まる
のを感じました。



「かたっ、かちっ、かちっ」

と秒針が動いていきます。



そして

10時になりました。


親も僕も

絶対に受かっててくれと願いを込めて
またボタンをぽちっとクリックしました。


「ぽちっ」




















合格です。




「よっしゃあ!!!!!!!!!!」

「やったね!!」

「おめでとう、。。。」



めちゃくちゃ叫んでる僕と
ほぼ泣いてる母親と
これまたほぼ叫んでる父と兄で


家はおかしなことになってたと思う(笑)



とにかくめちゃくちゃ嬉しかった。


今でもこの喜びを超える感動はこの先ないんじゃないか?
と思ってます。


本当にうれしかった。



今まで高校受験や
部活動のテニスなどで


運でたまたま実力以上の結果を出して
上手くいったことがあったけど


この浪人しての慶應理工の合格は
確実に計画的に実力通りの合格だった。



着々と実力をつけて
計画通りに成功を成し遂げたのは初めてだった。


僕は計画性とかには欠けてて
波が激しいし。たまたま勝ったりということが多かったので。


実力を確実に高めていっての合格。
それがうれしかった。



初めて自分で選んだ道で
自分で努力することを決め
自分で成績を上げ
自分で合格を勝ち取った。




それが涙がこみあげてくるほど
嬉しかった。





めちゃくちゃ大事なことなんですけど


自分が死ぬほど努力した時の成功や達成って
めちゃくちゃ嬉しいです。


これは後にビジネスを始めて
コンサルを始めて決めたときも同じような感覚になりました。



とにかく努力し
結果を出し切り
成功をする

ということが
自分の自信や
自分の「自由」においてどれだけ重要なのか
ということを思い知らされた瞬間でした。


大学生での挫折



そして慶應に無事入学したわけなのですが


最初のほうはキラキラした大学生活を目指して
サークルやバイトなど1人暮らしもさせてもらって


最初の1か月2か月3か月4か月くらいは楽しかったんですけど



ここで挫折をまた経験しました。



紆余曲折あって
(それは主にこちらの自己紹介で書いてます。)

自己紹介 留年した慶應生が起業する物語
https://sontaro01.com/?p=37




僕は勉強が好きで入ったわけでは無いのに
周りには東大を目指してたけど東大には落ちてしまって
慶應には入り

勉強が好きで入ってきた連中が多くて


学部や授業の雰囲気が合わなかった。



「なんでこんなに勉強に熱心になれるんだ?」
「この人らは何を目標に勉強してるの?」


特にやりたい研究もなく
勉強がどんどん苦手になり

授業をさぼるようになり
学部の友達とも疎遠になっていき


僕は地獄のような生活をした。



家に引きこもって
「将来どうなりたいんだろうな、、、」

「俺このままじゃ絶対ダメだよな、、」


とぼーーーっと考えるけど
特に何もしない生活をずっと続けました。


食っちゃ寝て食っちゃ寝て
を繰り返して


tiktokやyoutubeを見て


お前本当に人間か?
ってレベルの生活をしてました。




あれ?お前テレビ局に入りたくて
慶應に入ったんじゃなかったっけ?



って思いだしてくれる方もいるかもしれないんですけど

実は慶應大学を目指してるうちに

テレビ局はどうでもよくなり
「慶應大学に入ること」が目標に変わってました。



自分の人生を踏まえてテレビ局って決めたわけじゃなくて
ただ何となくキラキラしたものにあこがれてました。



でも今の生活はというと
全然キラキラしてないです。


食っちゃ寝て、食っちゃ寝て。


午前中の11時ごろ起きて
なんとなくお腹すいたなって言って
飯を食ったら

14時には仰向けになって
スマホ見て

「なんか食いすぎたかな。ねむいな。」
って言ってまた寝る。


それで17時頃には目覚めるんだけど
特にすることもないから寝る。


19時ごろ起きて
なんかご飯食べるかって言って

また食べて


youtube見たりして
ゴロゴロしながら
風呂も入ったりして


25時くらいにはなってて
そしたら電気暗くして


「あー将来どうしよう」
「なにになりたいんだろ」

って思う日々が続きました。


これじゃあせっかく慶應大学に入ったのに
中身が全然慶應生じゃないじゃん。

ってすごい自分の中で周りからの慶應の印象と
かけ離れててつらかった。


慶應は絶対楽しいでしょ

とか言われてつらかった。



サークルも辞めてしまったし
2年になって学科が分けられるんですけど

僕は実験の授業が嫌すぎて
2年生の5月には学校に行かなくなってたので

学校に友達は一人もいませんでした。



だから別に
「お前さぼってないで学校きなよ」

って言ってくれる存在もいませんでした。



そんな僕を知らずに
「楽しそう」なんて勝手に決めつけんなよって思ってました。



そして
学校をさぼり続け

うすうすわかってたけど
ここで地獄に突き落とされました。




それが留年です。



これこそ本当に将来どうしていいのか
急ににわからなくなりました。


さらに気分が落ちて

家に引きこもる生活が増えました。



そしてずーっとスマホを見てました。



就活 留年

就活 理系 留年

就活 ランキング

就活 人気ランキング


とか意味のないことを調べまくってました。

将来どうしたいのか
自分が将来どうしてるのか


良い未来だけを想像したくて
色々調べてました。




でもなんか違和感を覚えました。


高校もそうだったし
大学もそうだったし

これからもそうだけど


「なんでこんなに受験や就活で戦わなければいけないんだ??」



僕は受験に成功して幸せになったのか?


いや、勉強が嫌いで結局留年して幸せにはならなかった。


幸せを求めるなら
僕は何をすればいいんだろう。


就活して
また戦争に夢中になってその先のことを忘れて


企業に入って、鬱になって仕事を辞めるのではないか?




この大学に入っての失敗の二の舞にはなりたくない。


また受験という戦争に夢中になったことで
特にやりたいわけでもない学部に入り
なんとなく生きるのはやめよう。


そう心に誓いました。




そんな時に
スマホを触ってると



大学生からコンテンツビジネスを始めて
3か月で100万円


というのが目に留まりました。


「なんだこれは。くそ怪しいな。」


僕もこれを見てすぐじゃあやろというほど
リスクを負える人間じゃなかったので



まず中身を調べてみました。


「この人らは何をやってるんだ?」

「何をしてお金稼いでるんだ?」


そんなことを調べてました。



「ビジネスは知識ゲームですよ。」

「原理原則を知れば商売なんて簡単です。」



そんなことが書いてあって


んー、怪しいって思ってたけど
筋が通ってるんだよな。


正しいこと言ってて確かにそうなんだよ。



そんなことを思って
数日がたって



また気になってしょうがなくて

見た。



今度は
年収3000万になった方法がわかるらしいから
公式LINEに登録してみた。


なんかいっぱいその
ビジネスに必要らしい知識が贈られてきた。



そこには

ビジネスで大事なのは

ライティング
マーケティング
セールス
情報発信


です。


これらを学んで実践していけば
稼げます。


と言っていた。


「おーなんだなんだ。なんか面白そうじゃん。」

「これなら留年のコンプレックスを取り返せるのでは。」


と思い
毎日その配られた動画を見るようになった。


メモしてくださいね。と動画で何回も言われたから
メモもした。


そしたらなんか見えてきた。

あーとりあえず
Twitterで発信するのね。
商品売らないとお金は入らないよね。


じゃあ商品を作ればいいんだ。


でもなんだろう。
自分が作ったものを売るのにすごい抵抗があった。


でもやらなきゃわからないんだよな。


なよなよして時間が過ぎてくのが
すごい情けなかった。


「大学の夏休みも終わってそろそろ学校も始まってしまうんだよなあ。」



そう思って今しかないと思い
教材を買ってみた。


ビジネスモデルに関する教材だった。


人を集めて価値を伝えて商品を売る

という流れがあり、


売上の公式というものがあり


それぞれ分けてやっていけばいい。

人を集める作業。

価値を伝える作業。

商品を売る作業。


そんなことを学んだ。


そしていろんな事例が説明されてたんですけど
実店舗の話とかもあって


でも結局今の自分にできることが何なのか
わからなかった。



「あー、なんでだろ」
「これどうやったら先に進めるんだろうな」


そんなことを思ってました。


そして
僕は受験時代の経験を思い出しました。


塾に通って
徹底的に先生の言うことを聞いて
復習しまくって
やる気や行動面もサポートしてくれるチューターがいて


そうやって結果を出してきたな。



先生がいた方が
100%早い。



これだったら僕の
時が止まったようなくそみたいな生活からも抜け出して
全力をかけてできるものなのではないか?


とめちゃくちゃ頭の中で妄想しました。


これで成功したら

お金も稼げて
就職もしなくてよくて
旅行にもたくさん行けて
いろんな面白い経験に使う時間も増えて
海外に一人でフラッといってみたり
港区の飲み会に行っていたり
タワマンに住んでみたり
女の子と遊んでみたり
ハイブラのかっちょいい服を買ってみたり


何でもできるじゃないか。


そして
この空白のような生活じゃなくて


受験時代のような
「努力」をまたできるんだ


充実した生活を送れる!!


どんどん心が躍ってきて

僕はコンサルというものを受けたくなった。


でも金はなかった。
どうしても金だけはなかった。


払えないよな。。


どうしたらいいんだろ。。


バイトするのか??
でもそしたらコンサル費が何円かわからないけど
何か月もかかってしまいそうじゃないか?



僕はまたどうしていいのかわからなくなった。


でも脳内は

「走れ!突っ込むんだ!」


でも現実的に
お金がないからストップがかかってしまってる。



はあ。お金を稼ぐにもお金が必要なのか。
そんなのなしだろ。。



と思ってたんですけど
やっぱり諦められなくて


こういう決断をしました。




とりあえず値段がわからないから
コンサルを受けたいです。と連絡を送ってみよう。


受けたいのは事実なんだから。



もちろん怖いけど。
いくらかかるんだろ。

50万とかするのかな。。



そう思って僕は以前登録した公式LINEに
急にこんなLINEを送った。



大学生でまだ未熟だから文章は多分
おかしかったと思う。



ーーーーーーーーーー

こんばんは。
いつも発信みてお世話になっております。

結論から申しますと
コンサルを受けたいです。


僕は大学生で払えるお金も少ないですが、
貯金全部を払うことはできます。
それくらいの覚悟は持っています。



なぜ受けたいと思ったかというと
今までの自分の受験の経験から成功した人に
直接アドバイスをもらった方が結果に直結すると確信しているからです。

また、このまま誰にも教わらないでやるのは
圧倒的に効率が悪いと気づきながらも作業をやるのは
とても苦しいと思いました。


横浜に住んでいるので
東京には40分もあればいけます。


絶対に結果を出しますし
手伝いでもなんでもさせていただきます。

よろしければコンサルの詳細を
教えていただきたいです。


ーーーーーーーーーー

今見直して
まんま同じ文章を書きました。

これを送りました。


すると

すぐに
「いったんzoomしましょうか」

とだけ返信が来て

zoomをした。


ドキドキとワクワクと緊張。
合格発表のときか!と思うような気持ちになりました。


そこでは
・僕がどうしていけば稼げるか。
・コンサルはいくらするのか。


そんなことを話してもらった。


いつも動画で聞く声だなあと
思いながらしゃべりました。


結局コンサルのお金は自分の貯金では払えなかったので
消費者金融を初めて使うことにしました。


もう僕は止められなかった。
今の生活が本当に嫌で、人間じゃないみたいで
変わりたかったから。


適当に過ごして
並みの結果を出すどころか
要領が悪いから下の中みたいな結果しか出ない僕。


でも僕はやると決めたらやる。
絶対できるんだと思って
たくさん消費者金融に電話しました。




正直本当に震えてた。
僕は貯金体質でお金を派手に使ったことなど今までに一度もなかったから。


借金など今までにしたこともなかった。

小学生の時
友達にお金を貸したら母親に怒られた。

「なんで?」って思ったけど
怒られた。


そういう教育を受けてきたから
お金を借りるなんて怖くて仕方がなかった。



でもやるしかない。

この二つの気持ちが
戦いながら僕はそれでもやりたい、今の自分を変えたい
と思って借りました。



「ああーー本当に借りてしまった、」


一回借りたお金を見てみたかったので
コンビニでおろしてみた。


触ったことない厚さの札束。

何じゃこりゃ。(笑)

と思って自分の銀行に入れた。



そして
見たことない金額が
銀行のアプリに表示された。


でも
それを一瞬で0にした。
コンサル費として振り込んだからです。



「振込完了したらスタートしますね。」
といわれてたので


スクショして
LINEに送った。




そしたら
「明日空いてますか?」

といわれ

もちろん僕は家に引きこもってただけなので
「空いてます!」

といって


「じゃあ、18時に六本木で会いましょう」


といわれました。


六本木か。ちょっとこわいな。

そんなことを思いました。



ここまですんなりと受けたように書いてますけど

本当にすんなりいったからそう書いてます。


あの連絡を送ってからまだ4日しかたってないです。
1日中消費者金融に電話して借りまくって
3日後には振り込みました。



僕は今でも不思議です。
なぜあんな怠惰だった人間がこんなに心を奮わせて決断したのか。


まあさっき言ったように
僕はそれまでの生活にだいぶ嫌気がさしてたし
すごく変わりたかったっていうのが「それの答え」だと思うんですけど。



そして
1日後になって
六本木につきました。


六本木なんて行ったことほぼなかったので
これが金持ちの街かと感心しました。


すれ違う女の人の顔を見たら
8割は美女。

世の中の上位1割の女の子たちが集まってるんじゃないの?(笑)
って思いました。


男はというと
金持ちそうなゴリゴリの男ばっかり。


なんだこの人歩き方で強いわ。
とか思ったのを覚えてます。


そんな感じで
歩いて行って

予定の時間より
10分くらい早く店に着いてしまいました。




僕が先に店について
初めてのシーシャだったので
とりあえず席に座って待つことにしました。





でも師匠から
「企業から連絡きたからちょっと遅れちゃうね。ごめんね。」

といわれました。


10分後くらいには来るかなって思ったけど
なかなか来ない。


店内には僕一人で
時間がたったからか

「シーシャ先に頼みますか?」
ともう一回聞かれて

いや、あともうちょっとで来ると思うんで
もう少し待っていいですかね。

といって待ってました。


でも、20分たっても来ない。


「あれ、もしかして僕は騙されたのかな?」

「金だけとられたのかな?」


そんなこと思いたくなくても
そういう言葉が頭に浮かんできました。


コンサルなど受けるの初めてだったし
何もわからなかったから。



怖かった。頼む。来てくれ。

と本当だったら考えなくてもいいことまで
考える羽目になりました。



27分くらいたったときに

ブランドのニット帽をかぶって
ロングコートを着た男性が店に入ってきた。


店内には僕一人しかいなかったので

僕のほうをさして
「ごめんね。お待たせしました。」

って言ってきました。



「あーよかった。さすがにちゃんと来るか。」
「zoomの時もちゃんとロードマップを示してくれて本物だなと思ったから受けること決めたわけだし」

って思って安心しました。


「初めまして。中身の顔は実はこんな感じです(笑)
以外にやさしそうでしょ?(笑)」


とすごい気さくで優しい方だった。

僕は安心しました。


そして
初めてのシーシャを頼んで
コーラを飲んで。


そこではいたって普通の話が多かったです。


大学どこなの?とか
なんで始めようと思ったの?とか
彼女いるの?とか

あとは
マインドの話をしてくれました。


たいていの人はマインドが低いから結果が出ない。
だから僕は高いお金を払えるような最低限のマインドが整ってる人しかコンサルとらないしそっちのがお客さんも結果出るから喜んでもらえるんだよ。



単価を上げるの怖がる人とかいるんだけど
いや自分の実力磨いてさっさと単価は上げろ
ってマジで思う

と言ってました。



なるほどなとメモを取って。



「まあ最初だからとりあえず7日以内に商品作って出しな。」
といわれたので

「はい!」といって

僕のコンサル生活が始まりました。


会った次の日に大量に教材を渡されて
とりあえずわからなくてもいいからこれ一周は全部聞いて見て。


って言われて聞いた。


めちゃくちゃワクワクした。

これを全部覚えたら
俺はどうなるんだろ。最強人間になるのかな。
ってめっちゃわくわくしたのを覚えてます。


そして一周聞き終わって
とりあえず言われた通りに

Twitterのプロフィールを作って
ツイートしてみた。


まだアカウントは
フォロー100フォロワー13
くらいの雑魚アカウントだった。

でもやるしかないから発信した。


そして
商品も作ってみた。



始めて商品を作ったとき
「僕が出していいのかな」
って思った。


今は教える側になって
思うけど

この壁は絶対にある。だって初めてやることなんて全部怖いもん。

と。


初めてとか久しぶりの事って怖いです。


以前
月200万以上稼いだことある人とzoomで話しましたが
活動を辞めてしまって最近また始めようかなって感じなんですよね。

って言ってて


でも

「長い間発信やってなかったから
商品を出すのが怖い」

って言ってました。

あーなるほどな。初めてだけじゃなくて久しぶりでも怖いよな。
って理解しました。



そんな感じで
僕は商品を出したけど

最初売れなかった。


「やっぱ俺にはできないのかな。それともこの業界自体が間違ってて騙されたのかな。」
とまた思ってしまった。


でも
金払ってしまったし
やるしかない。

と思って
また商品を出すことにした。



そして次出した。

これで売れなかったらもうしんどいな。
と思って出した。


その日は売れなかった。

「あれ。これ売れる未来が見えないな。たかが100円だぞ。」

と思ってました。


そして
また商品作るかーと思って

土曜日でしたが学校の図書館に行って
インプットしながらマインドマップにまとめて
次の商品を作り始めました。


そして「よし。今度こそは売るぞー」
となって

19時くらいに学校を出て
家に帰りました。


あんまり充電がなかったから
スマホを見ないで帰ってました。


電車に乗って、駅から歩いて帰って
家について。


マジで充電がやばくて1パーセントとかになってたので
急いでコンセントをさしました。


そしたら刺した瞬間
ぱっ
と画面が明るくなって


メールが届いてました。


なんだろ。と思って
ホーム画面のメールのところをタップして

face IDをやって

開くと




ーーーーーーーーーーーーーー

tips

あなたの商品が購入されました

ーーーーーーーーーーーーーー



「よっしゃー!!!!」

昨日出した商品が売れてました。


この時本当にうれしかった。


0→1を達成したのだ。

すぐに師匠に連絡して
0→1達成できました!って言いました。

そしたら
「おめでとう。やったね」

「そしたらまた会おうか。」

って言って

また六本木に会いに行きました。



そしてその会が僕の成長をさらに加速させることになりました。

なぜかというと
知り合いの年収1億の事業を持つ経営者さんが来てくれたからです。


全部の情報がすごくて
僕はまだ始めたてだったので
知らない言葉とかもバンバン出てきて
ついていけない話も何個もありました。




そこで夢中になって話を聞いていると
終電の時間になってしまい、初めて東京で終電を逃しました。


それでもどうでもよかったです。
僕はたった一日の睡眠時間が0になろうがどうでもよかった。


普通に過ごしてたら
年収1億規模の経営者とプライベートでシーシャに来ることなんて
できなかったです。


だから今回は得られるものは全部得て帰ろう
と思い


結局
2時半くらいに解散して。


あーーめちゃめちゃ濃い時間だった。

とすごい感動を味わいました。



そして僕はシーシャの会計を自分が出させてもらったので
解散してすぐその方からdmが来て

ーーーーーーーーーーーーーーー
お疲れさまでした。
先ほどはシーシャごちそうしていただいてありがとうございました。
まだ始めたばかりということでしたが
彼は確実に当たりですし、ぜひついていって成果出しまくってください!
ーーーーーーーーーーーーーーー

と連絡してくれました。



なんてよい人なんだ。

僕のイメージではお金持ちの人は自分より下の人間には
しっしっって感じで目も合わせてくれない。話も聞いてくれない。みたいな怖いイメージを抱いてました。


でもこの方は全然違かったです。


そして何より
師匠があたりですし、ぜひついていって成果出してください!
という言葉がめちゃくちゃありがたかった。


というのも
僕はさっき書いた通り、かなり勢いで始めたところがあったからだ。


会ったこともない状態で
コンサルを依頼してという感じだったので

この言葉が師匠への信頼を高めさせてくれました。

ここからもわかりますけど
口コミって鬼のように重要なんですよね。



そしてそこからというもののめちゃくちゃ作業しました。


youtubeを23日間で100本撮ったり
月に商品を6つ作って全部セールスしてみたり


行動の基準値を鬼のように上げていきました。


そしてそれに伴って結果も出て
2か月で月収20万になり
その後も収益がガタンと落ちることはなく5万、10万と
常に入ってきました。



僕は
自分が発信する前は

ビジネスが知識ゲームだ
とか
結局マインドが足りない


とか言われても正直心の奥には刺さらなかったんですよね。

んー。そうなんだ。
くらいの感覚です。



でも今となっては
ビジネスは知識と行動でしかないな。と自信をもってはっきりと言えます。


あ、別に怪しい彼らも嘘なんかついてなかったんだなと
自分が結果を出して確認できました。


そして何よりお金が自由を生むんだなと
つくづく感じます。



最近では
麻布十番のシーシャでお世話になっている先輩と行けたので6人分会計を払ってみたり、年間3億を自動で稼ぐ人と会ってみたり、富裕層のバースデーパーティーに行ってみたり、ポケモンカードの投資やってみたり、格上と一緒に住んでみたり、ノリで一秒で割り勘で原付買ってみたり



お金の自由が生まれたことによって

心の自由も
体の自由も
時間の自由も生まれました。


毎日が楽しくてしょうがないし、

家に引きこもってた頃と比べて本当に変化を遂げました。


こんな世界もあるんだ。
もっと早く知りたかったな。

と本気で思うので


僕も発信をしています。


多くの人がこのように
自分の自由を獲得して生きたら

変な犯罪とかなくなるだろうし
もっと面白い世の中になります。
これは絶対です。



他の国に行って貧困な国でビジネスをして国は発達させたら
地球全体も変わります。



お金を持って自由な生活ができていれば
ホリエモンのように宇宙の事業をすれば
宇宙も変えられます。




1人の自由が
人間を変え、町を変え、地域を変え、日本を変え、世界を変え、宇宙を変える。


それを教えられるのが
情報発信ビジネスというものです。


他の書籍とかほかのビジネスは
自由を獲得しようぜ
とだけ言えてもその中身まで教えてくれません。


どうやったら自由になるんだよって。


転売。
大きく否定するつもりはないし、確かに稼げるかもしれないけど
労働から離れられない。ずっと仕入れて売る。在庫も持つことが多いでしょう。
それが嫌になって利益率が高く、資産になる情報を発信する側になっていく人とても多いです。



fxの自動売買、MLM。
マルチは人から信頼を失ったり、自分が追い込まれたら身内を紹介することになりかねないから。いやだ。僕は友達を失ってまで金を稼ぎたいってわけじゃないから。自由が大事なのであって、お金はその基盤なだけ。だから絶対にやりたくない。


英語等のスキル。
確かに英語とか汎用性のあるスキルだけど、結局稼ぐのは物を売ったときでしかない。セールスするしかないんだから、その根本を学びたい。いくら英語ができても、物が売れなかったら自分だけでは生活できない。自立するという意味では自由になれない。


結局
最強なのは


情報発信だった。




僕は情報発信を学んで本当によかった。

こんなにも楽しい生活を送れると思ってなかった。

やっぱり僕は自由が好きだし、
多くの人がそうだと思う。人間の根源的な欲求だと思う。


だから自由になってくれる人が増えてほしいし
そういう人たちと関わっていきたい。


だからまずは

物を売れるようになりましょう。



物が売れさえすれば
生きていけます。



勉強する順番としては

売る技術。
ライティングやマーケティング。
情報発信。セールス。

いつも言っている通りです。


原理原則から学ぶべきです。



そして稼いだ金も
知識に使ってどんどん脳みそをグレードアップしてけば
負けなくなります。


そうなったらもうこれを読んでくれてる方も
自由を得られます。



「お金」は「自由」の父です。

お金は物を売ることで発生します。


やってやりましょう。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最後まで読んでいただきありがとうございます。


僕のコンサル生とかは
自由を求めて必死に頑張って活動しています。

僕もさらなる自由を求めて
背中を見せ続けています。


最近だと
でかい家に数人で住んで
一緒に作業しようぜという感じで
心から成長を欲して貪欲に生きてます。


僕はやりたくてこれをやっているので
自由です。

ただもっと大きな事業に関わるには
もっと大きなお金があった方がまあ役に立つよな
と思って働いてます。

あとシンプルに成長が楽しすぎるし。



公式LINEでは
その僕のリアル感あふれる
限定コンテンツを流しています。


僕が情報に200万近くかけて得た
まとめ動画も期間限定プレゼントで最初に配っています。


このメッセージが読めているなら
幸いにも期間内です。

今のうちに追加して学んでください。

https://t.co/Dkg8vAToQr


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